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第46回 岡田豪三 氏


主題:外洋ヨットレ-ス,それからクル-ジングライフスタイルへ

講師: 岡田豪三 氏

開催日: 2018年03月31日(土曜日)

開催場所: 東京海洋大学 越中島キャンパス

参加者: 総勢31名




<事務局から>

岡田氏のISPAは、現在日本で最も成功しつつある クルーザースクールのひとつである。 修了者はすでに600名を超える、という。 ヨッティングの普及についてはあれこれあり、 それぞれの分野で各種の団体や個人が真摯に取り組んでいる。 それぞれに成果を収めているが、 ISPAは(スクールという分野にとどまらす)、 その「普及活動」という大きな括りの中でも、目を引く存在である。

普及を進める側とは反対に、進められる側、 つまりヨッティングを学ぼうとする側にとってももちろん、 スクール効果の高いカリキュラムは大変に魅力的だ。

ISPAは、岡田氏の控えめなコメントによれば、 「短期間でヨットに乗れるようになる」 「クルージングをするためのノウハウが詰まったカリキュラムでもある」 そうだ。

今回の講演では、このあたりのISPAマジックの秘密の一端も 教えていただけるのではないかと大いに期待している。

今でこそ、こんな大成功にたどり着いた岡田氏だが、 それまでの道のりは長かったようだ。そのあたりの、 今まで我々が知らなかった同氏の苦労話も、この講演で拝聴できそうだ。

今回の講演は海洋大学の國枝佳明教授の特別なお計らいにより、 同大学越中島キャンパスの集会室をお借りして開催できることとなった。 同キャンパスは奇しくも、岡田講師が(お父上の仕事の関係で) 少年時代に住んでいた場所でもあるらしい。 ご縁が深く、幸先のよいお話である。

PS  大学日程によれば、開催日当日は本来、 明治丸など大学施設開放はされない日である。 しかし、運よく地元桜まつり協賛のため臨時開放となったので、 急遽國枝先生引率による学内見学会が午前中に開催された。 おかげさまで、岡田講師を筆頭に「ヨットの科学」の面々は、 大いに見聞を広めることができた。



<講師の略歴>

名前:岡田 豪三(おかだ ごうぞう)

1945年 兵庫県神戸市に生まれる。 直ぐ父親の転勤に伴い静岡県清水市(現在は静岡市清水区)に移転。 中学1、2年の二夏、東京商船大学ヨット部が主催するヨットスクールに もぐりこんでA級ディンギーを乗りこなす。 大学で何をするかを考えた時、清水で遊んだヨットが頭に浮かび 「大学でヨットをやろう」と決意。

学習院大学ではヨット部に在籍、4年間ヨット漬けの生活を送る。 4年生の10月までヨットレースに明けくれたので就職活動は何もできず。 サラリーマンになるかそれとも他に何をするかを考える。 考えた結果「自分の好きなことをやって生きよう」、 それが「ヨットで飯を食おう」であった。 1969年学習院大学法学部法律学科を卒業。

世の中は好景気の真最中、大企業、造船業界は花盛りの時代である。 しかし、ヨット業界と言うものは存在しない。 小さなセールメーカーが数社あるのみ。 手始めにヨットデザイナーを目指したが3ヶ月で挫折。 舵社に入社して日本中を駆け回るが、つまらないことで社長と喧嘩、 1年半で辞職。ヨットを作るため、会社を立ち上げるも1年も続かない。 ホビーキャットに対抗してできたカタマランを販売しながら、 ヨットスクール(ディンギー)のインストラクターをやって1年を過ごすが、 生活は成り立たない。ヨットでは飯が食えないと1973年陸に上がる。 私にとってはラッキーなことに1年で会社はオイルショックで倒産。 失業保険で6ケ月食い繋ぐ。この6年間はどん底の生活を送る。

1975年 集英社から独立したオーシャンライフから声がかかり、 編集の仕事に従事。一流のヨット編集者は 一流の乗り手でなくてはならないと言う執念を持って、 クルーザーレースに明け暮れる。天職と思っていた編集の仕事だが 体を壊して5年で辞める。

オーシャンライフを辞めて2年間はヨットで遊びまわる。

1980年 チャイナシーレース、沖縄-東京レース、 ヨットをハワイまで回航してパンナムクリッパーレース、 その後宮古島まで回航。7か月続けてヨット生活。 翌年は太平洋シングルハンドレースに参加する。 いわゆる霞を食べての生活を体験する。

1981年11月 ヨット部の先輩に誘われて広告代理店SPN入社。 ヨットレースなどのイベント事業を手掛ける。 84年から93年までサムタイムワールドカップを御前埼で 10年間開催し運営を担当。マリンイベントが仕事として初めて認められる。

1986年12月 シーボニア社長に請われてシーボニアに転籍。 マリンイベントをやりながらマリーナ業務。 86年から95年までの10年間、娘二人のOP(オプティミストディンギー) に付き合い日本中を駆け回る。2007年までの21年間シーボニア勤務。

1998年10月ISPAクルーザースクール開講。
97年春「短期間でヨットに乗れるようになる」と謳うカナダの ISPAカリキュラムを日本でやりませんか、 と言うDMが日本中のマリーナに届いた。 定年後も仕事をしなくては食べてゆけない私は、 定年後の仕事はクルーザーのスクールしかないと考えていた。 直ぐに日本に講師を呼び寄せ講習を受講。 すると目から鱗のことばかり。 このテキストを使えば誰でもがヨットの基本を教えることができる。 基本的なことが分解して書いてある。 そして翌年4月バンクーバーに飛んでインストラクターの資格を取得。 10月シーボニアにて開校となる。

要はクルージングをするためのノウハウが詰まったカリキュラムであった。 クルージングの楽しさにはまり海外の名だたるクルージングスポット を駆け回る。そして日本もいいスポットがあるので精力的に走り回る。

2008年1月 横浜ベイサイドマリーナに移る。 ISPAクルーザースクールを専門職とする。 2017年12月現在、ISPAの修了者が600名を超える。 横浜ベイサイドマリーナのISPAチーフインストラクターを務め、 年3回のクルーザースクールのインストラクションを行う現役である。



<講演の内容>

(1)ヨットをやるきっかけは家庭環境にあり。

(2)「好きなことをやって生きよう」、「ヨットで飯を食おう」だった。

(3)ターニングポイントになった「太平洋シングルハンドレース」出場。

(4)「最後の仕事はマリーナで仕事をしたい」が叶いシーボニア勤務。

(5)「ヨットが短期間で乗れるようになる」というISPAカリキュラムに巡り合う。




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