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第43回 関口 徹夫 氏


主題:

この目で見てきた日本ヨット建造界の50年
(及び、クルージングマルチハルの世界)

講師: 関口 徹夫 氏

開催日時: 2016年3月12日(土曜日)13:00〜15:00

開催場所: 東京・夢の島マリーナ会議室

参加者: 総勢22名




<事務局から>

講演の趣旨からして、講演料は無用だそうです。 そのかわり、商品の宣伝となるシーンも出てくるので、 その点はお含みください、とのことです。

会費は今回に限り諸費用の1,000円のみです。
予約受付期間は2月5日(舵誌の発売日)から3月10日までです。



<講師の略歴>

名前: 関口 徹夫(セキグチ テツオ)



<関口氏が主宰するファーストマリーン社の略歴>

「舟艇技報」(一般財団法人舟艇協会の会報)2015年12月号より抜粋

ファーストマリーンが有限会社としてフランス・ベネトウ社製 セーリングクルーザーの輸入販売をスタートさせたのは、 1987年(昭和62年)1月だが、この話は少しさかのぼる。

ヨットが好きでその世界に憧れていた関口徹夫青年は、 将来の希望としてヨットの設計者になることを胸に抱き、 フランス語の勉強をして勇躍フランスの土を踏んだ。

そんな時に巡り合い、後々まで強い信頼関係で結ばれたのが、 当時まだ片田舎の造船所であったベネトウ社の副社長 フランソワ・シャラン氏であり、輸出部長のジョエル・ジャリジョン氏であった。

4年半のフランス滞在の後、帰国した関口氏は、 日本でヨットビジネスを展開すべく準備を重ね、 SBA,JMJといった会社でゼット・スパー(マスト)、 オートヘルム(自動操舵装置)ほかの輸入販売を行いながら、 来るべきチャンスを待っていた。

当時の日本は円が安く、為替レートの点でもヨットの輸入は不利であり、 ヨーロッパ各社や北米からそれらを輸入するのにはフレートもまた大きな負担になっていた。

しかし1980年代の半ばから後半(昭和60年代の初め)にかけて、 日本は戦後最大のバブル景気に沸きかえり、為替レートは円高にシフトしていった。

そして関口氏が、本格的にベネトウ社のヨット輸入販売を視野に入れた頃、 ベネトウ社もまた、アンドレ・モーリック設計のセーリングクルーザー、 「ファースト30」という革新的なヨットを開 発し、1000隻余を販売するという大成功をおさめていた。 さらにファースト325、345、375といった大型艇を世界に向かって発表し、 積極的な展開を図ろうとしていた時期でもあった。

ベネトウ社の副社長であったフランソワ・シャラン氏との関係、 輸出部長のジョエル・ジャリジョン氏との交流、 そして後にカリスマ的な存在になるアネット・ルー社長の信頼を得ていた関口氏は、 いよいよファーストマリーン社の設立を模索したが、 それまでのヨット用品の輸入販売に加えて、 新たなセーリングクルーザーの輸入販売を行うには、 何をおいても信頼できるパートナーの存在が不可欠であった。

そこで知己を説得し、ハンドとして得たのが、 営業とマーケティングに力量を発揮する松島慶明氏と造船技術にも精通した 加藤憲芳氏の両専務取締役であった。

フランス語に長け、フランスに多くの知己を持つ関口氏を中心にしたこの三本の矢は、 強い結束のもとに結ばれ、1987年(昭和62年)1月、 晴れてファーストマリーン有限会社を設立し、ベネトウ社のヨット輸入販売を開始した。

この頃には、日本でも欧米の有名造船所と契約し、 代理権を得てヨット、モーターボートの輸入販売を計画する企業も現れていたが、 世界中のボートショーで注目されたベネトウ社のそれは、 その設計の斬新さと軽快な帆走性能、そして価格と関口氏等の努力により、 日本のヨット界に大きな衝撃を与え、実績を残していった。

同社のホームページによれば、会社を設立して2年あまり後の1989年(平成元年) 4月には100号艇の契約を達成し、さらに2年後の1991年(平成3年)1月には、 200号艇の契約を達成している。

そしてこの間に、セーリングクルーザーに加えて、 ベネトウ社が生産したモータークルーザーの輸入販売も行っていた。

わずか5年あまりで基礎を築いたファーストマリーン有限会社は、 1994年(平成6年)8月に株式会社とし、 さらに日本国内での販売実績を拡大していった。




<関口氏のマルチハル歴>

@1983年に、初めて出場したトランスパックレースで乗艇した 46フィートモノハルレーサーを、 スイスイと追い抜いていった伴走の F27 トリマランの勇姿にショックを受け、 以来30年以上個人的にトリマランに乗り続ける。

@現在は3隻目の36フィートトリマランにてセイリング。

@1989年に、国内初めての本格的クルージングカタマラン、プリビレッジ50を輸入販売。

@同時に JCI のマルチハルルール制定に、フランスのマルチハルの船検ルールを飜訳して協力。 同艇の東京 - 沖縄回航も行う。

@上記を皮切りに、現在まで50隻以上の35〜63フィートのカタマラン、 トリマランの輸入販売及び国内外でのワンオフ建造に関わり、 その半数以上の回航や海外クルージングに参加。



<講演の内容>

1)この目で見てきた日本ヨット建造界の50年
2)クルージングマルチハルの世界



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