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TRANSPAC2001 クルーメンバーの紹介 (CREW)

文責:冨永文彦





 
平野恭行 (Yasuyuki HIRANO)

通称、ヘイチャン
バウ担当

舟の1番前が彼の持ち場で長いスピンポールを軽々と担ぎ、 巨大なスピンをセットし、回収する、 1番危険度の高いパートを堅実にかつテキパキとこなす、 184cm、94kgの好漢は元ニッポンチャレンジ(アメリカズカップ)の選手だった。

  
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小林正季 (Masaki KOBAYASHI)

通称、マサキセンセイ
マストハンド、ヘッドセールトリマー

本船きっての情報通で、米船籍のライバル艇の艇種は言うに及ばず得意な風向・風 速、クルーの人数、積込んだ食料(フリーズドライ OR NOT)まで掌握 していま す。パンナムクリッパーカップ、ひろしまカップ(ハワイー広島)、ケンウッドカッ プ ’96 ’98、SAIL OSAKA、沖縄レース(大阪)ほかの参戦歴を持つ。

  
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高須雅規 (Masaki TAKASU)

通称、まさきち
マストハンド、ヘッドセールトリマー

初めての外洋航海が太平洋横断という珍しい経歴の持ち主。 セーリングクルーザーを始めて32日で航海距離5200Mの ベテランに。 デインギーでの経験が豊富な彼のボートコントロール能力は素晴らしく 彼が舵を持っている時は中にいる人は静かに眠れます。

  
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冨永文彦 (Fumihiko TOMINAGA)

通称トミサン

42才、男性、独身、健康、貧乏

  
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伊藤陽一 (Yoichi ITO)

通称よういち、ヨーサン
本レースのスキッパー

SHORE SAILS JAPAN の若手NO.1
メルボルンー大阪、AIR NEWZELAND(2回)、KENWOOD、ブロックアイランド、上海-大 阪、香港-大阪、IOR50FT他の参戦歴を持つ国際派レーサー。インショア・オフショア 共得意。必殺の「オレ様ドライブ」は本レースでも冴え渡った。本船のセールは全て 彼の設計・製作によるもの。

  
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安藤康治 (Yasuharu ANDO)

通称アンチャン
本船のボースン

レース中、皆がセーリングに集中できるのはこの人がいるからです。水(造水機)・ 電気(充電)の管理、気象FAX(周波数切り替え)、ロールコール(SSB)・・・本 レースでは、コック長も担当。

  
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寺尾和彦 (Kazuhiko TERAO)

通称テラオサン

ベンガル2の母体、ホライズンチーム時からのメンバー。 五ヶ所湾合同、鳥羽パール、上海ー大阪・・ の優勝経験を持つ本船のLUCKY GUY、 「彼が乗れば好成績」の秘密のパワーは本レースでも 遺憾なく発揮され本船は一時総合2位の時も

ロジステイックス・英語・撮影 担当

  
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大橋且典 (Katsunori OHASHI)

通称テ〜トクウ

泣く子も黙る本船の設計者、この世に知らぬ者のいない ヴアンデスユタット大橋 世界を股に掛け、 時代を超越した偉大なるデザイナー、 ナビゲーション担当

ある時はセオリーを全く無視し、またある時は他艇が予測不可能なコースを引く、 神出鬼没の「極東の虎」。本レース全般の気象分析は見事に当たり、特に前半3日間のリーチン グの走りはレース結果を決定付けた。

フィニッシュ直後のMR.アランアンドリューと の対談はあまりにも有名。

  
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邨瀬愛彦 (Yoshihiko MURASE)

通称ムラセセンセイ

2回のメルボルンー大阪レース、上海ー大阪、 などの参加経験を持つ国際外洋レーサー。 2000沖縄レース(大阪)完全優勝、 上海ー大阪優勝、鳥羽パールレース総合 優勝他、優勝・ファーストホーム多数。

若手の育成に熱心で、やる気が あれば誰にでもチャンスをくれる、そんなオーナーです。医学博士

  
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